ご近所では、わたしが困っている奥様が2人ほどいます。

困っている奥様1人目の記事はこちらです

賃貸住宅と町内会役員、近所や隣人と付合い、乳児のいるワタシ

今日は、1人目の奥様のときに書いた、もう一人の困った奥様について書かせていただきます。

もうひとりの困った奥様も、前回の記事の奥様同様に、あまり相手に合わせるということがありません。ですが、80代の高齢者なので、許される部分(許せる部分?)があることを、大きくかんじます。わたしの心の中で、としだから仕方ないかな~、といった気持ちがあります。

ですが。困っているのは、めんどうな隣人と同じなので、わたしのように近所で困っている人の参考になれば、と考えて記事にすることにしました。

今回の困ったご近所さんは、要らないものや傷んだものをくれるご近所さんです(笑)。くれるんですよ、傷んだ果物とかね、平気でってわけでもないんでしょうけど、いつも果物は傷んでます。

少し前に、通りですれ違いました、わたしは子連れで用事があったので出かけるところ。あちらは、帰宅するところでした。キウイ要らない?と聞かれたので、新鮮なキウイをイメージしました、「もらえるのなら欲しいです」と言ったのですが、それが間違いでした。

この勝負は、後出しジャンケンでした。相手が返事をしてから、自分が何を出すか決めます。わたしが欲しいと言ったあとですぐに、このように奥様は言いました。

いつもは固いし新鮮なんだけど、今年のキウイは軟らかいのよね、別に暮らしているお嫁さんに訊いたら要らないっていうから、あなたにあげるわね一応国産だしね(オーガニックのようにいいものだと言わんばかりに)、と言われました。

そのキウイは親戚の農家の人から届いたそうです、毎年、届くそうですが、今年は軟らかいそうです。後で持っていくからと言われました。うちも要らないんですけどね。

やられたー!!!、とおもいましたが、後の祭りです。帰宅後、コンコンとドアがノックされ、大量の傷んだキウイが届きました、やわらかくなっているものから食べてと言われましたが、どれもやわらかいです。ジャムでも辛いかも。。。

一口生で食べてみました、確かにお味は国産なのでおいしいですが、ぐちゃぐちゃでした。ヨーグルトに混ぜても食べたくないくらいの、けっこうな柔らかさです。いただいてからも、しばらく日数が経っているとおもわれます。

別に暮らしているお嫁さんに要らないと言われてから、うちに持ってきていることからしても、届いてから日数が経っているのは間違いありませんでした。

育児で疲れ気味のころでした。ジャムを作る気持ちの余裕もありません。ジャムならもっと傷んでもいいかとおもい、ぎりぎりでジャムにしました、ジャムはおいしかったです。

ですが、ジャムにすると微妙に、ヨーグルトにも合いませんでした。どうして食べようかと考えているうちに、育児で疲れていたこともあり、めんどうになりました。

そうこうしているうちに、ジャムは傷んでしまいカビも生えて、結果として捨てることになり、なんだかな~とおもい、冷静に起こった出来事を整理してみました。

要するに、キウイは生でそのまま食べれなかった(食べれる人もいるかもしれませんが)、無理してジャムにしても結果として食べなかった、生で食べれないキウイでヨーグルトにも合わなかった、それだけ軟らかかった。

結果として、ジャムにする必要が無かった!?、ということに気がつきました。だって、結局、つくっても、それに合う食品が無いと食べずに終わってしまう品物なんですよね。ジャムって。

キウイジャムは適度に酸味があるので、ヨーグルトとは微妙に合いませんでした、お互いに酸味が変に混ざって、おいしくなかったのです。

正直、しばらく、モンモンとしていました。

わたしだって、固い新鮮なキウイが欲しいです、傷んだ軟らかすぎるキウイなら要らないです。そして、奥様は例年キウイをいただいているそうですが、固い新鮮なキウイはうちに持ってきたことがありません。

だれも欲しがらないような、傷んだ果物を人にあげるという行為が信じられませんでした。うちはゴミ箱ではありません。

結果として、ジャムにする必要は無かった、ジャムにしても食べずに捨てることになった、無理して調理しても意味がない、無理してもらたても意味がない、これからはどうする?、ということを考えて、モンモンとしたのです。

どうしたらいいか、しばらく悩みました。ネットでもいろいろ検索してみて調べました、調べるという言葉は違う気もしましたが、どうすればいいのか迷ったのです。

これは、もう、価値観の違いとしか言いようがありませんでした。近所で傷んだものや要らないものをくれる人とは、結局は、価値観の違いなんです。

世の中には色々な家庭があり、残り物をおすそ分けする家庭もあれば、もらってうれしいモノを贈る家庭もあります。わざわざ購入してまで送ることはありませんが、傷んだものや要らないものをくれる人というのは、本人もそのような家庭に育ったのだろうな、といった、結論にたどりつきました。

このばあい、贈るという漢字が正しいのかも、迷うのですが、本人は贈っているつもりなのだとおもいます。

つまり、わるぎはなく、善意でやっているが、不用品や食べきれなかった傷んだくだものを贈るので、相手からは喜ばれない確率がかなり高い行為、という、ことになるわけなんです。

わるぎはない、おそらく、この奥様に限ってではなく、どのような人でも、あえて嫌われる行為をしようとおもう人はいない、と、おもうのです。このような行為をすると嫌われる、ということが、分かっていないだけなのですね。

それでも、こちらは迷惑です、でも相手にわるぎはないし、気がついてもいない(分かっていないからするのですけど)。さて、どうしよう?。

なぜ、このようなことを、ここまで考えたかというと。この件はキウイだけでは無かったからなんです。

キウイの翌日に、食べ残しの干しイモ(ご主人の友人が作ったもので、ご主人が頂いたきたのだが、食べきれなかったので、うちへ持ってきた干しイモ)や、腐ったりんごや腐った洋ナシ(食べようと冷蔵庫へ入れていたのだが、食べきれないためうちへ持ってきた)、お歳暮などでもらったであろうスティックコーヒーの残り(あまり飲まないので箱を開けたけど残ったのでしょう、スティックで包装されているのであげても喜ばれるとおもったらしい)や、あげくに、洗濯後のレースのカーテンまで持ってきたのでした。

疲れたのは、洋ナシが腐っていたことに気がついて(自分たちも食べようと切ったらしい)、キウイの翌日に食べ残しの干しイモやスティックコーヒーを持ってきたときでした。

昨日の傷んでたでしょう?、わたし持って帰るから!、と、言ってきかないのです。もう、めいわくです、本当にめいわくです。

わたしは、傷んだんところは切って、きれいなところだけ食べたから!、と言い、納得してかえってもらいました。やれやれです。そして、翌日に洗濯後のレースのカーテンと、やたら小さい里芋をもってきてくれました。

里芋も誰かがつくったものの残りだとおもいます、通常の大きい里芋の1/3くらいのサイズだったので。ですが、この里芋はおいしかったです♪。こおゆうのだったら喜ぶのに~、と、複雑な気持ちになりました。

レースのカーテンは、さすがに、要らないといい断りました。これでモノが届くことは無いでしょう。もんだいは、食べ物です。

里芋のように当たりの食品30%の確率になります。10コもらったら当たりが3個と、といった、かんじです。ま・わるくない確率ですね。

奥様は不要なモノを持ってきますが、それは自分が育った家庭の常識だった、だとしたら、とりあえず受け取っておこうかなって、考えることにしました。

そして。受け取ってから、傷んでいたら、こっそりと捨てる。食べれそうな食べる、キウイをジャムにしたときのように、無理に加工したり、変な罪悪感は持たないことに決めました。傷んでいたら捨てる、加工するのが面倒なもので加工しないと食べれない食品は、捨てることもやむを得ないと、決めました。

そのように決めると、気持ちもだいぶスッキリとしましたし、もやもやも少し晴れました。

そして、数か月後に、ふたたび、傷んだキウイをもらったときには、食べれそうなものだけヨーグルトに生で混ぜたら、どうにもならないほど傷んだ残りのキウイは、わからないように袋に包んで、生ごみに出しました。捨てることに、もはや、迷いはありませんでした。

ネットで検索すると、ありがたく頂いて気持ちを受け取りモノは捨てる人と、要りませんと言う人に分かれていました。食品のばあいは受け取って捨ててもいいですが、レースのカーテンのようなモノは捨てるのも大変なので断ったほうがいいかもしれませんね。

わたしは食品は、まず、受け取ることにして、消耗品はその場で断ることに決めました。その意見には主人も賛成していました。

結局、結論としては、近所で傷んだものや要らないものをくれる人はとは、価値観の違いがある、ということだけなんですね。だけど、それがなかなか、厄介なんですよね~。

人様に差し上げるときには、いま、これを自分がもらったとしたら、うれしいかどうか?、ということを、いちど考えてみてから差し上げるといいかとおもいます。